27. 【命題と性質、関係】
はい。というわけで、はじロジ裏、名づけて裏路地です。
別に無理やり隠しダンジョンっぽさ出さなくていいんじゃない…?
うっせえ。裏路地では、裏ということもあって、確かにロジバンだけどロジバンからちょっと離れたところまで行ってみます!
文法を考えるのとはちょっと違う頭の体操をしてもらうよ。
うへえ。
命題について少しだけ
さて、まずは、今までにもちらほらと出てきたけれど。「命題」ってなんでしょう?
えっと、なんだっけ。10章ではコションが
「大雑把にいえば「真偽の定まる文」くらいの意味」
って言ってたよね。
そうそう。ちょっと大雑把すぎたし、厳密には少し違うので、もう少し丁寧に考えてみます。
たとえば、
- 私はヒトだ。
- .i mi remna
- I am a human.
- Mi estas homo.
- mi jan.
- an et lan.
- Mea wis walasye.
はすべて同じ内容を表す文です。
日本語、ロジバン、英語、エスペラント、トキポナ、アルカ、ヒュムノスと、異なる言語の文ではあるけれどね。
だから、上のどれを発言しても(それが通じるなら)、同じことを主張していることになるよね。私は人間です、と。
ふむふむ。ああ、だから翻訳ってできるのかな。 同じ内容の文を対応させるのが翻訳って言えそう。
直観的にはそうだよね。ロジバンを日本語に訳すとき、その文の表す意味が等しくなるように訳すわけだもんね。
さてさて、本題に戻りますと、ずばり、命題とは平叙文の意味/内容のことと捉えられます。
じゃあ、さっきの7つの文はすべて同じ命題を表している、と言い換えられるの?
そういうことだね。ここで、何らかの命題を表すような文のことを命題文と呼ぶことにしよう。
ふむふむ。さっきの7つの文は「私は人間である」という命題を表す命題文だってことだ。
そういうこと!
私たちが初めて命題と出会ったのは、10章で{du’u}を学んだときでした。
- du'u [命題文]
- 「x1 は x2(文字列)によって表される、 [命題文] という文の表す命題(文の内容)」というPSをもつ述なれ語
これを使うと、
- zo’e du’u mi remna kei zoi gy. I am a human. gy.
- 何かは、”I am a human” によって表される、私は人間であるという命題だ。
のように、どんな文がロジバン文で表される命題を表しているかを述べることができます。
- 残りの6つの文について、上の文の x2 を入れ替えた形の文を完成させよう。
- zoi の境界子に悩むかもしれないので、一つの提案として、
- エスペラント : .esp.
- トキポナ : .tok.
- アルカ : .ark.
- ヒュムノス : xy.
- などどうだろうか。
なるほど。で、du’u [文] の x1 は命題を指示しているわけだから、
lo du’u [文] で 「[文]という文の表す命題」ってなってたわけだ。
だね。注意深い人は、「じゃあ文の意味というのは、何のことなの?」と疑問に思うかもしれません。
これについては哲学の領域で様々な議論がなされています。
「それは観念のことだ」とか「可能世界の集合のことだ」とか「その文の刺激に対する行動のことだ」とか…。
…が、それに触れ出すとロジバン講座じゃなくなるので…。とりあえず、「文の内容のことを命題と呼ぶ」と理解しておいてください。
ほいほい。命題は平叙文の内容のことで、そんな文のことを命題文と呼ぶ、と。
- 今までの話に則って、上でこしらえたそれぞれの文の x1 にある zo’e はすべて同じ命題を指していると考えよう。
- このことから、英語文の表すその命題と、日本語文の表すその命題が同一であるという文を書いてみよう。ヒントは「15章」。
穴の空いたままの文
ロジバンの平叙文は何らかの命題を表すので、命題文と呼ぼうとさっき言いました。
ロジバンでは、述語が作った空いた穴を埋めていくことで文を完成させるんだったよね。例えば、{remna}なら、
- remna
- x1 は人間だ。
の x1 を項(sumti)で埋めることで、文が完成するわけです。でも、単に
- .i remna
と言った場合でも、空欄のように見えるところには zo’e が想定されて、
- .i zo’e remna
- 何かは人間だ。
と、remna の空欄はすべて埋まっている文になるんでした。
まあ、これは今までの復習だよね。
です。で、ここからが新しいこと。
{remna}の辞書の定義の「x1 はヒトだ」の “x1” というのは、「x1のここ、空いてますよ」ということを示す空席の表示です。
「x1 はヒトだ」はまだ x1 に項が埋まっていないので、平叙文として完成していません!つまり、命題文ではないのです。
この空席を表す形式的な項のことを自由変項と言います(何が自由なのかは後々!)。ロジバンでは ce’u がその役目を担います。
- ce'u
- 自由変項
じゃあ、「x1 はヒトだ」に対応するロジバン文は {ce’u remna} になるのか。
ん……? ちょっとまってね。えっと、
- zo’e remna
- 何かはヒトだ。
- ce’u remna
- x1 はヒトだ。
この2つの文のうち、上のやつは命題文だから、命題を表すのは分かる。
下のやつは……命題じゃなくて、何を表してるの?
- これは、はじロジにしては珍しい「答えが自力で出せないかもしれない問題」だ。
- ソラの疑問について、続きを読む前にちょっと一緒に考えてみよう。{ce’u remna}は一体何を表しているのだろう?
- もしくは、見方を変えてみよう。「x は ~ だ」という形式の文を今までの講座のどこかで見たことはないだろうか?
関係節と穴あき文
さっきのソラの疑問について考えていこう。穴あき文は何を意味するの?だったね。
と、その前に、ソラ、少しリフレッシュだ。次のロジバン文を訳してみて。
- ti noi ke’a remna ku’o cu melbi
簡単だよ。「人間であるこれは美しい」でしょ?
正解。noi は、「その先行詞は、続く文の {ke’a} のところに当てはまるものだよ」ってことを言っているのでした。
……どう?
どうって何がどう……ん?
これってさ、言い換えると、{ti} は「ke’a はヒトだ」の {ke’a} のところに入ると、その完成した命題文を真にするってことじゃ?
ほら!「x1 はヒトだ」ってのと、「ke’a はヒトだ」っての、なんか似てる気がする。
期待通りのことを言ってくれて嬉しいよ .ui。実は ke’a も自由変項とみなせます。
ただ、 ce’u と違って、そこに入るべき先行詞がいるから、空席だけど埋まる相手は決まってるっていう “予約席” なニュアンスはあるけどね。
そう。さっきのnoi節の {ke’a remna} というのは、「ti がどんなものか」ということを述べているんだね。
そしてそのことは {ce’u remna} 「x1 はヒトだ」が何を表しているのか、ということとも密接に関わっています!
- ゴールが見えてきた!どうせなら、ここで立ち止まって、自分で答えを推理してみよう。
- あるモノが「どんなものか」を表す、抽象的な概念って何か無かっただろうか?
穴あき文、属性/性質文
ソウ!ゾクセイ ダヨ!(上を見ながら)
だね。属性とか、性質というのは、あるモノがどんなものであるかを表す何かだよね。
関係節は、先行詞の属性を述べていたと言えるね!つまり、{noi ke’a remna}というのは{ti}の属性を述べていたわけです。
それじゃ、もう一回、ソラの疑問を書いてみよう。
- zo’e remna
- 何かは人間だ → 命題を表す
- ce’u remna
- x1 は人間だ → ???を表す
なるほど。穴あき文は属性を表すんだね。
ということは、du’u が 命題文を取り込んで、「x1 は~という命題だ」という述なれ語になったみたいに、
属性を表す文(穴あき文)を取り込んで、「x1 は~という性質/属性だ」という述なれ語を作る機能語がある…?
ご名答。属性を表す文(つまり、自由変項が1つある文)のことを属性文と呼ぶことにしよう。
ka は属性文を取り込んで、「x1 は[属性文]という文の表す属性/性質だ」という述なれ語になります。
ちなみに、ここでいう属性というのは一時的なもの(たとえば、眠っているとか、走っているとか)も含みます。
- ka [属性文]
- 「x1 は [属性文] という文の表す属性/性質」というPSをもつ述なれ語
- zo’e ka ce’u blanu
- 何かは青いという属性だ(何かは「xは青い」という文の表す属性だ)
- zo’e ka ce’u remna
- 何かは人間であるという属性だ(何かは「xは人間だ」という文の表す属性だ)
ka [属性文] の x1 も [属性文]という属性文の表す属性を指示しているんだよね。
そうだね。性質/属性項を入れる穴をもつ述なれ語を少し見てみよう。
その前に、1つだけ文法的な事項を。ka節にce’uがない場合、最初の空欄にce’uが想定されます。その他にはいつも通り zo’e。
関係節の ke’a のときと同じ感じだね。よし、それではいってみよう。
- mi ckaji lo ka (ce’u) remna
- 私には、人間であるという属性がある(私は「xは人間である」の x を満たすようなものだ)
- do zmadu mi lo ka (ce’u) xendo
- あなたは私よりも親切だ(あなたは私よりも、親切であるという属性において優っている)。
- ti cenba lo ka (ce’u) blanu
- これは、青いという属性において変化する。
- ti dunli ta lo ka mi nelci (ce’u)
- これとそれは、私が好きであるという属性において同等だ。
- ckaji
- x1 には x2(ka) の性質がある
- zmadu
- x1 は x2 よりも、 x3 (性質)の点で、 x4 (数量)ほど卓越している
- mleca
- x1 は x2 よりも、 x3 (性質)に関して x4 (数量)ほど少ない
- cenba
- x1 は x2 (性質)に関して x3 (数量/度合)ほど x4 (環境条件)において変化/変質/変身する/変わる
- dunli
- x1 は x2 と x3 (性質)に関して同等
- frica
- x1 は x2 と、 x3 (性質)に関して違う/異なる
- simsa
- x1 は x2 に、 x3 (性質)の点で似ている/相似的; x1 は x2 のよう
- skicu
- x1 (者)は x2 (物/事/状態)を x3 (者)に x4 (性質/表現/文字列)によって描写/叙述する
属性項はしばしば「~という点において/関して」というのを言うのに使われます。
「どういう点において」≒「それがどんなものであるからなのか」という感じだね。
- 上で紹介した単語の内、例文で使われていないもの(mleca, frica, simsa, skicu)を使って、それぞれの例文を作れ。
関係
ちなみに、今まではひたすら remna ばっかり追ってたけれど、たとえば、
- prami
- x1 は x2 を愛する
みたいに、自由変項が2つあるようなフレーズをロジバンで表すにはどうすれば?
属性のときと変わらず、ce’u で埋めればいいよ。同一文にある複数個 ce’u は同じ対象を指示するわけではないことに注意してね。
日本語では「x は x を愛する」とすると、x1 = x2 と捉えられるけど、ロジバンではそうは解釈されません。zo’e と同じだね。
- ce’u prami ce’u
- x1 は x2 を愛する
自由変項が2つ以上あるような文が表す何かのことを、私たちは関係と呼んでいるよね。
実は、関係 も ka を使って引き出すことができます!
ただ、ka のデフォルトは 属性なので、それが関係を引き出していることを明示させるために、ce’u は省略しないようにしよう。
- zo’e ka ce’u prami ce’u
- 何かは「x1はx2を愛する」という文の表す関係だ。
とはいえ、実際に関係の項を使うことはほとんど無いんだよね。
ま、だから、ka を使えば、属性だけでなく、関係も引き出せるってことさえ覚えててくれたらいいよ。
というわけで、命題と属性、それから関係について見てきました。疲れた?
うん、疲れた。なんかほんとに、ロジバンだけどロジバンじゃなかったね…。
でしょ?これこそが「裏路地」なのです。
今回やった 自由変項 という概念は大事になってくるので、きちんと覚えておこう。
ちなみに、ふだん私達が使ってた項は 変項 と対比して 定項と呼びます。
ゆっくり lo tcati でも pinxe しながら、今回やったことを頭に定着させてね。
True/False Questions
- ka節には必ず少なくとも1つ以上のce'uがあるはずである。
- 属性と関係は、少なくともロジバンでは、それを表す文に空いてある穴が1つなのか2つ以上かが異なる。
- 命題とは文の内容/意味のことであるが、文の意味が実際に何なのかは様々な議論がある。
- ce'u が自由変項なのに対して、mi、ta、zo'e、lo broda というのは 定項と呼ばれる。
-/- answers correct!